2018年10月アーカイブ

10月なのに30℃越え

長時間パソコンの前に座っているせいで凝り固まった首筋をほぐす為、周囲の目も気にせず、グリングリンと頭を振りながら歩くうどん屋までの道すがら、季節外れの暑さと連日徹夜続きですでに溶けかけのアイスクリームな脳みそが、その頭の動きで攪拌され、耳からこぼれ落ちるんぢゃなかろうかと心配になり、動きを止めたと同時に視界に入ってきたビルの壁のポスター。

其処に貼られている来月から開催される酉の市のポスターに、嗚呼、こんなに暑くても、すぐに冬はやって来るのだなと季節の移ろいを感じながら、例年であれば毎年、この時期ぐらいからマレーシア・パンコール島に行く準備を少しずつ始めるのに、今年はそれも出来ないのか、嗚呼、つまんねー、神も仏もありゃしねー、と季節外れの陽気とは裏腹に薄青色した秋の空を見上げる神無月。

アンタ、4月に帰国してまだ半年しか経ってないぢゃないというツッコミは聞こえない、聞きたくもない___。

___2018年10月14日午前10時44分 女児誕生、この歳で。

他人様より早く訪れた思春期から現在までの約40年にも及ぶ自身の半生の、これまで自分の股間にぶら下がっているコイツがしでかした事のひとつひとつを、せめて思い出せる分だけでもと、既に曖昧になりつつある記憶力をフルに使い鑑みても、やはり自分には次代に残す種のひとつぶも残っていないであろう、ならばせめて甥っ子たちを含め、他人の子らを無責任に可愛がって生きてゆこうと、とっくに心に決めていた昨年9月。

2代目嫁であるハナモゲラッチョ・セバスチャンから子供が欲しいと言われた時に、間髪入れずに返した「まず検査を」という言葉から始まった不妊治療。
これまでの半生においての数え切れない使い捨て、試し打ち、暴発に加え、昨年のパンコール島で足の手術後まもなくして原因不明の高熱にうなされた数日間(「平熱36.2度→高熱40.8度」2017年3月10日:参照)で、白髪交じりの密林の奥深くに潜伏する我が軍の残党兵はことごとく敵軍の火炎放射器によって焼かれたに違いないと思っていた自分にとって、まずは2代目嫁を納得させる事が大切であり、その為の不妊治療だった。

不妊治療はお金もかかるし、なにより女性の身体と精神に負担がかかる事は、誰でもご存じだろうけれど、実は男も精神的に辛いわけで、これより書く事は、女性の大変さを重々承知した上で、不妊治療を経験した世の中の男性たちの、あまり堂々と拳を突き上げきれない嘆きと思って読んで欲しい。

間もなくして、段取りの早い2代目が主治医から紹介してもらったクリニックに通う事となり、その気が起こりそうにもない小綺麗な小部屋に案内され、クリニックが用意している「好みじゃないアダルトDVD」数本を、ズボンもパンツも下ろした情けない姿で、使い捨ての消毒紙が敷かれた椅子に腰掛け、死んだ魚の目をしながら、反応おぼつかない我が銃を片手に、もう一方の手にはDVDプレーヤーのリモコンを持ち、次から次へとDVDのチャプターボタンを押しながら「これぢゃない、これでもない、これぢゃ起たない、嗚呼時間がない、でも出さなきゃいけない」と、なんだか自分が養鶏場のプロイラーに思えて仕方なかったあの小部屋。

そして時間を気にしながらも、風貌もサービスも悪い風俗嬢相手に文句も言えず、結局自身で処理してしまった時のような男の哀しい性の入ったボトル片手に小部屋を出て、検査室前のボックスに入れ、待合室で待つ事小一時間。
夫婦共々、診察室に呼ばれ、医師から「男の成績表」を見せられながら説明を受けるのだけれど、数々の戦禍の中で朽ち果てたと思われていた残党兵たちが僅かながらまだ生き残っている事に素直に驚き、だったら今まで何故、他の女性たちとの間に出来なかったのかと、そんな素朴な疑問を口にした瞬間、隣に座る2代目にパンッと額を叩かれた、初対面の医師の目の前で。

世の中の不妊治療を経験した旦那さんと違い自分が楽なのは、「次回はあの小部屋に出張風俗嬢を呼ぶ」だの「それがダメなら自分好みのバカ高いダッチドールを背負って電車でクリニックまで行く二宮金次郎みたいに」だの、けして公共電波には乗せられないコントのネタのような男側の不平不満を時折ツッコミを入れながら笑って聞いてくれる家内であるという事で、これには多いに頭が下がる。

「だってDVD入れ替えるのも、こっちの手は使えんやんか。だから片手でこーしてこーして、次のDVDをパッケージから取り出す時も片手やし、なかなか取れんし、時間気になるし、チンチン出したままやし。」
え?もういい? そうか。男同士なら死ぬほど解り合える話なんだがね。

普段の自慰行為ですら不妊治療スケジュール中心なので、催した時に出来るわけでもなく、催さなくても出さなきゃいけない日には必ず出して、あとは次回クリニックに行く日まで弘法大師なみの悟りの境地でいなければならない。
毎日時間通りにホルモンの薬を飲んだり貼ったりしなければならない女性に比べれば、そんなのたいした事ではないと一般的には思いがちだけれど、一方は生理現象を抑える精神的苦行であり、もう一方は義務であるので、自分からすれば、そもそも比べるモノではなくどっちも大変なのだよ。

苦行僧の境地のまま、クリニックに通い、鶏のように小部屋で出す事数ヶ月、奮わぬ成績と結果に、金銭面的な事も考慮し、早々と体外受精に切り替えて臨んだ数回目には、自分の好みの動画を持参するまでになり、これから治療に臨まれる男性は、恥ずかしがらず初回からフル装備で向かわれる事をお薦めする。男からすれば負けた気分の種より勝った気分の種の方が良いし、ホラ。

自分が日本不在中に使用する為に、最後に「勝った気分」で出した種を冷凍保存したのを確認し、毎年恒例のマレーシア・パンコール島に旅立って5日目。家内から懐妊の知らせを聞く。
「それは勝った気分のヤツぢゃない、負けたヤツぢゃ。」と携帯電話越しに家内に文句を言いながら、一方で取り敢えず安堵するも、まだ不安定な時期なので、周囲に公言出来ず、島の友人たちに来年のパンコール島の話を出されても、ゴニョゴニョ言葉を濁しながら、取り敢えず今は、お腹の子をててなし児にせぬように、昨年のように現地で緊急手術だとか高熱だとかないように、仲間たちとのビーチバレーやサッカーに参加して怪我やら疲れで抵抗力が落ちぬようにと、仮病で体育の授業を見学する生徒に徹し、帽子も被らずボートの上で1日中イカを釣るなどというような腕白坊主も封印し、毎日バイクを運転する身においては、思い出した時にはヘルメットを被る事をなるべく心掛けて、詰まりはすべてにおいて自分なりに自重して過ごした約2ヶ月半のパンコール島生活だったのだよ。
一方、日本では、亭主不在の中、毎日仕事に通いながら、時折点滴を打ちに病院に行かなければならないレベルの悪阻(つわり)を繰り返す家内。結局、その酷いレベルのつわりは、自分が日本に帰国する5日前まで毎日続いたそうで、帰国後の家内の視線が痛いったらありゃしない桜散った4月初旬。

予定していた毎夏恒例の沖縄・伊平屋島にも家内は行けず、検査で女児と判ってから以降、「チンチン付いてないといろんな意味で弄ってやる事も出来んやん、つまらん。」と落ち込む自分に反発するかのように膨らんだ腹の中でうごめきを見せる7月。

切迫早産のおそれがある事から予定より数日早く産休に入ってすぐの8月初頭から、ほぼ1ヶ月近く、よりによってなんでこんな時にと感じるほど珍しく忙しい仕事の合間を縫って、入院した家内の病室に、ほぼ毎日のようにノンカフェインのお茶を始め、毎週日曜日には「刑務所だって時々は甘いもん出るし」と、菓子を差し入れ、家内も行くはずだった長野にある恩人の墓参りに友人と二人で行き、2週間ローテーションで同じメニューに戻る病院食に辟易している家内に、こっちは旨い物ばかりと長野から美味しい料理の画像を送ってやった8月。

担当医によると、このぶんだと9月半ばには生まれるかもしれないとの事で、今生まれてしまうとまだ未熟児専用の無菌ボックスの中に入れられるし、障害が出るおそれもまだまだあるしで、退院後も毎日、何処か緊張感の中で過ごしていたのだけれど、9月半ばを過ぎてもその気配すらないので、次第に開いた骨盤の痛みから逃れるかのように、毎日、彼方此方に1人で出歩くようになった家内を仕事場である自室から見送る日々が過ぎ___。

お印が来ても当初の予定日の10月9日を過ぎても一向に気配のないその膨らんだお腹を軽く叩きながら「あんたまで家賃も払わんとこのまま居座る気か!? 不法占拠や! 腰も限界やし強制執行いたします!」と言っているその言葉を、丸めた背中で受け流しながら過ごしていた昨日土曜日。
徹夜続きで睡眠サイクルが崩れ、夕方から寝ていた自分が家内から起こされたのは夜9時過ぎ。
不確かではあるけれど、破水しているみたいだと言うので、病院に連絡を入れると、出産の為に荷支度をしていた入院セットを持ってすぐに来るようにと言われ、昼間のうちにシャワー浴びてて良かった臭くないもん、と思いながら病院に向かい、車を降りた後、何度も二の腕辺りをクンクン嗅ぎながら、やっぱり臭くない安心と救急外来口から産科病棟まで広くて薄暗い夜の大学病院内を歩くのだけれど、夏に1ヶ月近くお世話になっている病院なので、家内も自分も勝手知ったるトコロもあり不安もまったくない。
家内はそのまま検査を経て入院。
「明日の朝から陣痛誘発剤を用いて出産に入るので、ご主人は9時前には病院に来て下さい。」と言う看護師さんからの言葉を持ち帰った午前0時前。

約束通り、寝坊もせず、翌日曜日午前9時前に病院に行くと、病室ではなく、陣痛室に通され、目の前には苦痛を浮かべ涙目で処置台に横たわる家内の姿が。事前のマタニティクラスで教わった通り、陣痛が来る度に家内の座骨を握り拳で押してやるも、どうやら力が足りないらしい。
「全力でやっていいの? 痛いぞ?」と聞いてもそれでも良いと痛みを堪えた震え声で言うので、座骨が折れんばかりの力で押すと、それが正解だったらしいので、陣痛の痛みでそんなんだったらお産になったらどーなるの?

座骨を押す事30分。そろそろ分娩の態勢に移るとの事で、分娩は立ち会わない自分はロビーで待つ事にしたのだけれど、初産だし、そんなに直ぐには出てくる事もないだろうと、病院を抜け出し、最寄り駅の傍の喫煙所で暫く頭上の曇り空を見上げた後、再び病院に戻り、余りにも手持ち無沙汰のせいで、さっき吸った電子タバコを再び吸いたくなるという欲求を抑える事が出来ず、再び病院を抜け出そうと、それなりの言い訳を看護師さんに言ってみたのだけれど、生まれてくる時間は分からないし、ひょっとしたらもう生まれてるかもしれないし、とごもっともな意見に論破され、たしなめられた駄々っ子よろしく、口を尖らせてロビーの椅子に腰かけ待つ事約30分。
「おめでとうございます、生まれましたよ。」
我が儘な父の気持ちを察してくれた子は、初産にもかかわらず陣痛から僅か3時間で出て来てくれた。

がしかし、思いのほか出血量が多いのと痛みのせいで、普段他人の前では見せない姿で泣いている2代目の方が心配になり、看護師さんの「元気な赤ちゃんで良かったですね。」と我が子へ視線を促してくれる気遣いを他所に、「それより大丈夫ですかね? アレ。アレが普通なんですかね?」と、分娩台の上の家内の状態の方が気になり、正直、子供どころではなかったのは、そもそも自分の中では、子供を授からない人生を覚悟していて、それは妊娠を知ってからこちらも、「まずはアンタ在りき。アンタが健康で笑ってないとなんの意味もない。」と2代目に言い続けてきた気持ちは、子供を授かって間もない今現在も変わっていないのだけれど、これから徐々に変わるのかね? コレも。

という事で、この歳で父になるという壮大なコントのキャストがようやく出揃いました事、この場をお借りしてご報告申し上げますと共に、今までご心配をお掛けした仲間内の皆様に厚く御礼を申し上げます。

さてさて、こんな歳だし、いつまで型破りな父親役が出来るのやら___。

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プロフィール

冨岡ツカサ
職業:旅人
もといミュージシャン
マレー語,小型ボート操船

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