Vol.34 シメシメ?2011

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 只今、2011年12月30日の深夜です。いろいろあった今年ですが、何となく自分なりにシメてみようかと...(苦笑

 

 まあ、何と言っても3月の地震です。幸い僕らの周辺に大きな被害はなかったものの、震災後の影響でいろいろと考えさせられました。やれガソリンが無いだの、水が無いだの、放射能が出てるだの... で、ふと改めて考えてみると、そういう状況に陥った国を司るべき政治家のセンセイ方は何1つ、解決してないような気がします。別にね、いいんですよ、消費税を上げたって。でも、他のこと、特に国の行く先をホントに考えて行動してるんでしょうかね? 近隣の韓国だの中国だの北朝鮮だのに、イイように弄ばれて... もっと言うと、完全にナメられてるにもかかわらず、何もできてないし。

 何となくのブームで民主党っていう集団にこの日本の行き先を預けたわけですが、けっこう後悔してません? 僕はハナから、まったく民主党支持じゃないっすけど、もう「ブーム」とかで物事を判断するの、ヤメませんか? 自分自身も含めて、来年は、どうか皆さんそれぞれが冷静な判断をするように心がけたいです...

 

 で... そんなエラそうなことを言う自分自身はどうだったのかというと...

 

 すごくおぼろげだけど、何かのは見えてきてるような気がした1年でした。ただ、それを進むのには、かなりの困難とか障害があるらしいことも何となくわかってきた感じです。

 今まで、いつかは劇的な変化があるんじゃないかって、いつも他力本願的な期待を持っていた自分ですが、結局は何も起きないってことも、いい加減にわかってきました。じゃあ、自分の努力で打ち破って進みゃいいじゃんってことなんですが、いかんせん、この年齢になるとそういうパワーが出にくくなっているっていう現実もあったりして...

 だからっていうわけじゃないですが、来年は無理せず、焦らず、ゆっくりでいいからチョ〜〜ットずつ前に進めればいいかなと思います。

 

 4月末に相棒だった愛犬ジロが逝きました。つい最近では、我がhenssimoのツカサが大いにお世話になり、彼と我々バンドをいつも応援してくれていたK氏が亡くなりました。今年はいつになく、大事な人との別れもあった1年でした。「トシを取るって、こういうことか...」って変に納得したりして... 大事なものを失えば失うほど、自分の背中に背負い込むものが増えてくる... その背負い込んだものの大きさと重さをリアルに感じ始めた1年でした。

 

 さて... 来年はどういう年になるんでしょうか? 皆さんにとって良き1年でありますように!

 

 今年1年、おつかれさまでした!!

Vol.33-7 ジロ・ストーリーPart7<さらば相棒>

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 癌という大病を乗り越え、迎えた2010年。手術の影響なのか、散歩時の体 力などは目に見えて衰えてはきたが、ジロの気持ち(心持ち)は相変わらず若い時のままだった。しかし、この年の夏は記録的な猛暑で、さすがのジロもいつに なくバテ気味に... そんなジロを気遣ってKさんから「避暑も兼ねて夏の間はウチで預かるよ」という連絡があり、その言葉に甘えてジロは猛暑の中、快適にK さん宅で過ごせることになった。ジロの為にわざわざ日陰を作り、昼寝をしている時には冷たいタオルをかけ、玄関に入れた時は扇風機で風を送り... ジロに とって、これほど快適な夏は生涯なかったかもしれない。

 9月下旬、暑さの峠を越えたと思われる時期になって、ようやくジロは帰宅。そこから12月初頭まで、彼はまた自宅で過ごすことになった。これが、僕が実質的にジロの世話をした最後の期間となったのだ。

 2010年の年末から翌年の1月にかけて、僕の仕事はいつになく地方に出るものが多く入っていたこともあり、12月から1月にかけての約1ヶ月間、ジロは再びKさん宅へ。1月下旬、そろそろジロを引き取ろうかと思っていたある日、Kさんから連絡があった。
「ジロの様子がおかしい。食欲もないし、足もフラついてるし、なんか今までにはなかった感じがする」
 今にして思うと、よくぞここまでジロのことをしっかりと観察してくれていたものだと感謝感謝なのだが、とにかくその時は「それじゃ、とりあえず病院に連れていこう」ということになった。
 病院での診察結果は腎不全だった。それも、かなり進行しているとのこと。年齢から考えて、劇的に回復することはないという話もされた。しかし僕には不思議とショックとか悲しさはなく、むしろ「いよいよか」という覚悟ができた瞬間だったように思う。
 先生との話し合いでは、とりあえず点滴を毎日打ちながら様子を見ていこうということになった。毎日の点滴は病院ではなく、家で打つことに... え? 僕が 点滴を?...という不安を僕が感じたのを察知してか、なんとKさんが「ウチで当分預かる」と申し出てくれたのだ。実はKさんのご主人は医療関係の現場で働い ておられる方で、点滴を打つなどの医療行為はごく当たり前のことだったのである。なんという有り難さ! そして... 今にして思うのは、Kさん夫妻との出会 いやジロを預け始めたことは、結果的にこういうことに結びついていたのだということ。大げさな言い方だが、これこそ運命ではないだろうか。

 というわけで、1月下旬からKさん宅でのジロの療養生活がスタートした。僕は仕事の合間をぬってKさん宅に赴いたり、週1回の診察・治療のためにKさん夫妻がジロを病院に連れてきてくれる際には、なるべく同席するなど、何とかジロの様子を見守るようにした。
 ジロは会うたびに衰えが目立つようになっていった。最初はフラつきながらも自力で歩けていたのが、後ろを抱えなければ歩けなくなり、それもままならなく なると立っての排泄ができなくなり、食欲はほとんどなく、体はみるみる痩せ細っていき... 気がつけば25Kgあった体重が17Kgになっていた。そんな状 態であるから、元気だった頃のように豊かでひょうきんな表情がどんどんなくなっていったのも当然だが、それでも彼の目つきやわずかな仕草には、まだ「ジロ らしさ」がちゃんと残っていたのだ。そして、それは最期の瞬間まで消えることはなかった。何よりも僕は、このことが一番嬉しく思えてならない。
 いよいよ足が利かなくなると、ジロは完全な寝たきり状態となった。そしてついに、彼の下半身に床擦れが発生。人間だけでなく、犬にも床擦れがあるという ことを僕は初めて知った。世間ではあの東日本大震災が発生し、ガソリンが足りない、電力が足りない、原発が大変、という騒ぎをよそに、ジロはマイペースで ゆっくりゆっくり下降の歩みを進めていた。そのゆっくりしたペースのおかげで、元・妻にもジロを会わせることができたことも、僕にとっては嬉しい出来事の 1つである。

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 2011年4月... 僕はこの月に2回、海外での仕事が決まっていた。正確に言うと、海外に向かう豪華クルーズ船に乗り、その船の中での仕事、である。ど ちらも日本を10日間離れることになっていた。その頃のジロは、最も下のラインで一進一退を繰り返すといった状態。したがって僕は、まず1回目のクルーズ に出る前にKさん宅を訪れて、最後の対面のつもりでジロに会いに行った。床擦れの治療、毎日の点滴、少しでもいいから何か食べさたいとアレコレと調理した りと、Kさん一家総出でジロの世話をしてくれていた。そして当のジロは、やはり相変わらず... 当然のような顔をして、その有り難い世話を受けていたのだ。 何というマイペースな犬!
 そんな、ある意味図々しい?犬の表情には、まだ元気な光があったように思う。「これは、まだ持つな」というのが、その時の僕の直感である。案の定、1回 目のクルーズから帰国しても、ジロはまだまだ、それなりに元気で生きていた。ただ、さすがに床擦れが痛く感じるのと思うように寝返りが打てないことで、夜 中だろうが昼間だろうが、のべつまくなしに鳴いてKさん一家の手を煩わせるようになったこと、そして床擦れの傷から虫がわき始めてきたことで、Kさんたち の負担が急増。さすがに、それ以上お世話になるわけにはいかないと思い、かねまき動物病院で預かってもらうことにした。
 4月23日。もはや治療ではなく、最期の時間を穏やかに過ごすためだけにジロ入院。Kさん夫妻に車で運ばれてきたジロは、どこかホッとしたような顔をし ていた。まだまだ生きたい!というより「あ、これでスーッて逝けるんだね」っていう安心感... そんな感じだったんだと僕は思っている。
 この日からクルーズに出る前日の4月28日まで、僕は毎日仕事の合間に病院を訪れた。結果的には最期を看取れなかったものの、本当の最後に毎日ジロに会えていたことは、何よりも幸せなことだったと思う。
 そして4月28日。翌日の出発を控えて、僕はいつもより多くの時間、ジロのそばで過ごした。先生との話で、今回はさすがに僕の帰国までは持ちそうにないことは容易に察知できたし、僕もそのつもりで行ったのだ。
「ジロ、もう無理すんなよ」というのが、最後にかけた言葉だった。もう充分生きたよな? すごく楽しかったし、いい人生だったじゃん。最期までみんなが良くしてくれて。ホント、羨ましいぜ... そんなことも心の中で語りかけた。
 4月30日。クルーズ船の中でのライブを終え、船内のパソコンでメールを開いた中に、かねまき先生からの知らせを発見した。
「本日17時、ジロちゃん亡くなりました。朝からウトウトしていたのですが、午後になって意識が低下し、最期は眠るように亡くなりました」
そう、安らかに最期を迎えてくれたのである。これほど、飼い主にとって幸せなことはないと僕は思う。

 今ジロは、遺骨となって大きな骨壺に入り僕の部屋にいる。まもなく、今の家の庭や散歩コース、Kさん宅、そして以前住んでいた家の散歩コースなど に散骨するつもりだ。それが僕なりの、ジロにしてやれる供養なのだ。そして彼の写真は、先代ジロと自分の親父の遺影とともにパネルにおさめて部屋に飾って ある。16年という、犬にしては長寿を生き抜いた、いや「生き切ってくれた」2代目ジロ... 家族というより、僕の相棒だったような気がしてならない。だか らこそ、悲しさはあまり湧いてこないのだ。

お疲れ、ジロ! じゃあな、相棒!

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Vol.33-6 ジロ・ストーリーPart6<癌!?>

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 2006年2月、僕は川崎市麻生区から横浜市保土ヶ谷区に引っ越すことに なった。それも離婚という代償付きで... これについては、ただひたすらに僕自身の責任なのだが、とにかく離婚とともに引っ越しをするにあたりジロをどうす るかが問題になった。無い知恵を絞った結果、僕は親戚(従兄)の家に転がり込むことになった。その家(←現在の住まい)は一戸建てで犬を飼うにも問題はな さそう、ということで従兄に頭を下げ、ジロを連れて押し掛けたのだ。そう、ジロにとっては生涯2度目の引っ越しである。しかし、当の本人は相変わらずのマ イペース。横浜へと引っ越す日、ジロを撫でながら別れを悲しみ泣く妻に対して、いつもと変わらぬ反応しか見せないジロ... いつも通り、撫でようとする妻の 手を振り払う仕草すら見せて、である。そのいつも通りの仕草が、その時だけはやたらと悲しかったりしたし、その時ほど離婚という事態を招いたことを悔いた ことはなかったのだが...
 ともあれ、引っ越しは何の問題もなく完了した。ジロは、というと、新しい住処に何の違和感も持つことなく、むしろ新しい環境や散歩のコースが楽しくて仕 方ない、といった様子。彼にとってはどこに住もうがどこを散歩しようが、ちゃんとご飯が食べられて好きなように過ごせるのであれば、どんなところでも良 かったのだ。そんな犬であったので、その後、僕が仕事の都合で留守にする際にKさん宅に預けるようになっても、ジロとしてはただ単に「快適に過ごせる場所 が、また1つ増えた♪」といった程度のことだったに違いない。

 こうして横浜での生活も、平穏に過ぎていった。川崎市にいた頃に比べて走る速さや散歩用のリードを引っ張る力は衰え始めていたものの、犬らしから ぬ行動としばしば見せる人を喰ったような表情は相変わらずであった。むしろ、結婚時代に比べて仕事で留守にすることが多くなったことで、頻繁に自宅とKさ ん宅を行き来することが、老年期を迎えたジロには良い刺激になっていたように思う。
 2009年11月... この年の年末に地方での仕事がいくつか入っていた僕は、例によって別宅のKさん宅にジロをお願いするつもりでいた。我が家では決し て与えられない「犬用栄養ドリンク」とか豪勢なオヤツを、ジロもさぞや楽しみにしているだろうと思ってた矢先のある夜、散歩を終えたジロが突如悲鳴を上げ た。前述した通り、痛みには人一倍鈍感?な犬だったので、その悲鳴にはさすがに僕も驚き、あわてて庭に出てみると... 何かの痛みに必死に耐えながらガタガ タと震えている姿が目に入ってきたのだ。これは尋常じゃないということで、かかりつけの病院へすぐに連れて行った。この病院というのは、離婚後に僕の仕事 場近くで見つけた「かねまき動物病院」という病院で、ちょっとした治療やペットホテルに預けるなど、何かとお世話になった病院である。ジロが、ここでもす ぐに先生や看護婦さんに顔と名前を覚えられたのは言うまでもない。
 ともかく、その「かねまき動物病院」にジロを連れて行き、あれこれと調べてもらった結果、彼の体内に進行した癌が見つかったのだ。その痛みが彼に悲鳴を 上げさせたことが判明し、そのまま入院。4日後、その癌を除去する手術が行われた。結果、無事に腫瘍の除去に成功。犬の生命力とは恐ろしいもので、手術し て2日後には病院内をよろめきながらも歩き回るジロの姿があった。しかも、すでに「もう、ここの中は飽きたよ〜」という顔である。あれだけ好きな病院で も、数日すると飽きがくる... そんな「気が散りやすい」犬だったのだ。
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Vol.33-5 ジロ・ストーリーPart5<ジロの好き嫌い>

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 たぶんジロは、自分のことを犬だとは思ってないよ... こういうことを、しば しばジロを知る知人・友人から言われていた。実際、飼い主である僕と妻も、そう感じることが日常茶飯事であった。犬らしからぬ行動と表情、そして好き嫌 い... 人に笑われようが叱られようが、委細構わず、ひたすら自分の道を歩んだ犬だった。

 ハスキーの血が混じっている犬だっただけに、冬の時期、関東には珍しい雪が降り、ましてそれが積もったりしようものなら、そのテンションは一気に 絶頂に達していた。そんな日の散歩時などは、散歩担当のこちらとしては、なるべく滑らないようにと恐る恐る歩みを進めたいのだが、ジロの前へ前へと進む力 は、いつもの5割増状態。もし人間の言葉を話していたなら、きっと「わ〜〜♪」「うひょ〜〜♪」という具合だったに違いない。突然積もった雪の中に顔を 突っ込んだかと思えば、その場で寝そべり体をクネらせる... 要するに、全身に雪の感触を感じていたいようなのだ。さらに、雪を手当たり次第にシャクシャク と食べ始める。これが思った以上の時間をかけて行われたりするのだ。
「オマエさ、そんなに食ったら腹こわすぞ」というこちらの忠告など、お構いなしで、至福の(ように見える)表情で雪を食べ続けるのである。確かにハスキー犬っていうのは寒さに強いとは思うが、いくらなんでも雪食い過ぎだってば!...
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 先代のジロはとても気が小さく、その分、臆病で警戒心も強かったのだが、2代目はまるで反対だった。目の前で花火が炸裂しても一瞬キョトンとした顔になるだけで、その後、花火を怖がることもなし。もしかしてバカ?とマジで思ったものだ。
 そんなジロであるから、前述のように病院は大好き。治療であろうがペットホテルへの宿泊であろうが、彼にとっては「他の犬とか猫がたくさ〜ん居て楽しい 場所」でしかないわけで... 「あの〜、犬を預けたいんですが」「はい、お名前をどうぞ」「武田と申します」「あ、はいはい(←ここでクスリと笑う)。ジロ ちゃん、ですよね。いいですよ〜」
...こんな会話を何度となく病院の看護婦さんとしたものだった。

 そんなジロでも苦手なものもあるにはあった。その1つが... 風呂で体を洗われることだ。小さな子犬だった頃から、なるべく定期的に風呂で体を洗う (もちろん犬用のシャンプーを使用)ようにしていたのだが、トシを重ねるごとにそのキライ度がアップしていったように思う。アホ犬なはずなのに、こちらが 風呂に入れる準備をしていると「げ! もしかして風呂?」という顔になる。そういうところだけは変に鋭い犬だった。外から玄関に入れた時点で「あれ? 玄 関に入るなんて、ちょっとおかしくない?」となり、僕が彼の首輪を外し始めると「これって、まさか?」となり... 僕が後ろからジロの体を抱えて家に入ると 「やっぱ風呂じゃん! マジ、やべえ!」となる。風呂場の入り口まで抱えていき、そのまま風呂場に入ろうとすると抱えられた態勢のまま前足と後ろ足を出来 る限り突っ張って、風呂場の入り口の枠でストップをかけようとするのだ。「いや、マジ、イヤだってばさ!」と必死の訴え。もちろん、こちらは構わずに風呂 場にジロを放り入れる。すると今度は、ショボンとうつむいてしまう... この「ショボン顔」が、本当にショボンとした表情なのだ。そのあとは、ひたすらシャ ワーを浴びせられたりシャンプーで泡だらけになるのを耐え続けるのだ。
 晩年、ジロをしばしば預かってくれたKさんという家では、ジロをペット専用の洗い場に連れて行ってくれたことも何度かあったようで、その時の写真を先日 いただいたのだが、これもまた、何とも情けない顔でひたすら(ジロにとっての)試練を耐え忍んでいる様子がハッキリと見てとれる。こうした表情は、彼に とっては真剣であっただろうが、周りの人間にとっては、それが面白く、そして和ませてくれるものだったと思う。
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 Kさん一家と言えば、もう1つ... 基本的にジロは、自分の体に自分の毛以外のものがまとわりつくことが大いに嫌いだった。飼い主の僕や妻だけでなく、誰 かがジロの頭を撫でたり体を触ろうとすると「んもう! 触んなよ!」という仕草をするのが当たり前だった。素直に撫でられているのは、よほど彼が眠い時、 もしくは満腹で他に何も欲求が湧いてこない時、あるいは散歩中の休憩の時間...これくらいしか無かった。
 ...なのに、である... 初めてKさん宅に預けた際、何と彼は犬用のTシャツを着せられる羽目になったのだ。
「今日、ジロ用のTシャツ買ったから」とKさんからメールをもらった時、僕は正直「は?」と思った。そして次に「ジロがそんなの、おとなしく着せられるはずがないわな」と思った。万が一、うまく着せられたとしても、自分でその服を食いちぎるだろうなとも思った。
 ところが... 「Tシャツを着せてもらって自慢げなジロ」という写真付きのメールがKさんから届いたのだ。え? ジロがおとなしく着せられたんか? いやいや、それは俺の知ってるジロじゃないぞ... 本気で僕はそう思った。
 Kさん宅には2週間から1ヶ月、長い時は2ヶ月ほど預けさせてもらうことが多かったので、ジロにとってはいつしかKさん宅が完全な「別宅もしくは別荘」 となっていたに違いない。となれば、ジロなりに気を使っていたのか?とも思うのだ。親戚の家では良いコ、自分ちに帰ればやりたい放題... まるで人間の子供 と同じではないか。親戚の家で良いコにしていれば、お菓子やジュースは飲み放題、でも自分ちでは親から「あれはダメ、これはダメ」と言われる。だから、よ そでは良いコになっておいた方が得策... どうやらアホ犬なりに頭を使っていたようである。

結局、ジロのこのマイペースぶりと上手に可愛がられる為の仕草は、彼が最期の時を迎えるまで変わることはなかったのだ。
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Vol.33-4 ジロ・ストーリーPart4<オトナになっても...>

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 笑えるような騒動をしばしば起こしつつも、ジロは平穏に育っていった。住む場所が変わったところで、彼には何の関係もないらしく、どこへ行ってもマイペースを崩さない犬だった。

 川崎市麻生区の家はテラスハウスと呼ばれる部類のもので、2階建ての家にそこそこの大きさの庭が付いていた。そこで、我々夫婦はジロの為に庭のほ ぼ9割を柵で仕切って、その中をジロのスペースとすることにした。国立市の家と比べると、3倍以上の広さとなったのである。そのせいか、彼のノホホンぶり は、よりいっそう増大したように思う。
 ジロの為に犬小屋を置いていたのだが、彼はそこに入るよりは自分で掘った大きな穴に身を沈めて過ごすことが好きだった。よって、そこそこに広い庭には、 あっという間に大きな穴がそこかしこに出来上がることとなったのである。気候や気分によって入る穴が異なっていたようだが、それが彼なりの生活スタイル だったのかもしれない。
 宅急便の配達などの"見知らぬ人間"が訪ねてきても、相変わらず無反応そのくせ、それだけ大きな自由スペースに居ながら、散歩は朝晩欠かさずすることが当然と考えていたようで、散歩担当の僕を見つけると「早く! 早く!」と吠えてせかすのが日課となった。
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 それでも、そこそこオトナの犬になったのだから、それなりに落ち着くだろと僕ら夫婦は考えて(期待して)いたのだが...

 ある日、仕事から帰宅するとジロの姿が見えない... またいつものように穴に入って爆睡してるんだろう、と探してみたが、いない... 柵はジロが自力 では開けられないような仕組みになっているし... もしかして、誰かが勝手に柵を開けてジロを連れ出した? ...そんなことも考えつつ、とにかく家の周囲を探 してみると、数軒先の家の玄関先でノンビリとひなたぼっこをしているジロを発見。
「オマエ、何してんの?」というこちらの声に「んぁ?」と寝ぼけた顔を上げたジロ。とにかく、その日は家に連れ帰ったのだが...
 また数日すると、またジロがいなくなっていた。「もしかして、自分で脱走してる?」と考えたのだが、柵は開けられないし、柵の隙間は彼がくぐれるほどの大きさではない。じゃあ、どうやって?... その疑問は間もなく明らかになった。
「今日、お昼に2階で洗濯物を干してたらさ〜」と妻から報告を受けたのだ。
「ジロが柵によじ登ってるのを見ちゃったのよ」
「はぁ? 柵をよじ登る? 猫じゃないんだから...」と不審がる僕に、妻が携帯電話で撮ったという写真を見せてくれたのだ。
「ほら、これ... びっくりするくらい背伸びして、この後、後ろ足で柵を登っていこうとしてたの」
 さすがに、これには驚いた。犬で、しかも大型に近い体格で、しかもシベリアンハスキーの血が混じっているのに、柵をよじ登るって...
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 ジロが突然行方不明になる原因はわかったものの、だからと言ってヤツが脱走を諦める理由にはならない。その後もヤツは、何1つ悪びれることなく脱走を繰 り返した。そのうち「オタクのジロちゃん、お預かりしてますよ〜」という電話までかかってくるようになった。その家も犬を飼っており、ジロとしてはそこ に"遊びに"行くのが楽しくて仕方なかったらしいのだが... 電話をもらう度に果物や菓子を持って妻とともに引き取りに行く羽目に... さらに、ある時には、 脱走をした後、1人でルンルン気分で散歩していたところを保健所のスタッフに捕獲されたこともあった。大きな犬が単身でウロついているところを見つけて、 小さなお子さんを持つご家庭から保健所に連絡があったらしい。当然、そのまま連れていかれれば殺処分となる運命だったのだ。幸い、通りがかった宅配便のド ライバーが「あ、このコ、武田さんとこの犬ですよ」と言ってくれたおかげで事なきを得たのだが...
「ジロ、もう少しで殺されちゃうとこだったのよ!」とジロを叱る妻。しかし、彼には何のことやら一向に理解できないようだった。我々飼い主から与えられる 食事と散歩は、ごく当然のことで、自分の楽しみは自分で見つける... それがオトナになったジロの生き方だったのかもしれない。年齢からすると、もういい加 減にオトナになって落ち着いてもいいはずなのに、一向にそんな気配も見せず、マイペースに生き続けた犬だった。
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Vol.33-3 ジロ・ストーリーPart3<ジロ騒動記2>

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 ハスキーという犬種が本来そうなのか、ジロがよほどの鈍感犬なのか定かではないが、ジロはめっぽう痛みには強かった犬だった。

 飼い始めて間もない頃、まだヤツを片手で抱き上げられるほどの大きさだったことから、ある日散歩がてらに自転車のカゴに乗せてジロを連れ出したこ とがあった。たぶん、他の犬ならカゴに入れられた時点で、大人しくその場所に収まっているものなのだ(と思う)が、何せ落ち着きがない上に元気が有り余っ ているヤツであるから、カゴの中でもやたらと動き回るのである。
「ホラ、ジっとしてないと出かけられないだろうによ」と半分怒りモードの僕などスルーして暴れまくること数分... 案の定、カゴから転げ落ちてしまったの だ。大人用の普通の自転車である。子犬にしてみれば、相当な高さからの落下... しかも下はアスファルトの道路... 当然、ジロはそのアスファルトの上にド サッと落ちたのである。
「う"っ...」というヤツのうめきが僕にはハッキリ聞こえた。これは、飼って早々、骨折か、最悪の場合、半身不随?と僕は本気で思った。しかし、慌ててジロ を抱き上げると... ごくフツーな顔をして、シッポを振っているではないか。「ちょっとビビったけどね」的な顔をしていたような気もしたが、とにかく何事も なかったように「早く散歩行こうぜ」と催促する始末。痛みに強いんじゃなくて、単なる鈍感な犬か?と初めて思った瞬間だった。
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 ある日の夜、妻と買い物に出る際に「ジロも連れて行こう」ということになり、車に乗せて近くのドンキホーテに行った時のこと。買い物が終わるまでジルを 車の中で待たせていたのだが、買い物が終わって車に戻った時に「用足し、させておくか」ということになったので、車からジロを降ろした。「ほいきた!」と ばかりに車から降りて用足しをするジロ... と、その時、ヤツの視線が物陰に隠れている野良猫を捉えたのだ。
 猫は本来、犬が大嫌い。そしてマズいことに、なぜかジロは猫が(犬よりも)大好き、なのだ。用足しもそこそこに、その猫に1歩でも近づこうと、リードを 猛烈な力で引っ張り始めた。当然、猫は「フ〜〜〜!!」と完全な戦闘態勢。しかし、ジロにはそんな猫の仕草ですら「わっ♪ 一緒に遊んでくれるの?」とし か思えていないのだ。僕の抑える力を上回り、1歩1歩猫に近づいていく... そして、ついに猫の顔とジロの鼻がほんの数センチという距離になった瞬間... 猫 がツメをたててジロの顔を引っ掻いたのだ! もちろん、猫にしてみれば「なんや、オマエ? 殺るんか、コラァ!」であるから、必死の攻撃である。一瞬の出 来事にジロが驚いている隙に猫は逃走。
「あれ? 猫クンは?」とキョロキョロするジロ... と、妻がジロの顔を見て...「ジロ、鼻から血が出てるじゃない!」
そう、猫によって鼻ッツラを思い切り引っ掻かれたのだ。鼻の横からツツーのひと筋の血が垂れていた。しかし、当の本人は「ねえ、猫は? 猫は?」だけ。「オマエ、痛くないの? 犬にとって鼻って大事なとこなんでしょ?」と呆れる妻。
 ジロとの生活の中では、こんなことは本当に日常茶飯事だったのである。
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 そんな痛みに強い、もしくは鈍感な犬だった若かりし頃のジロが、1度だけ「痛〜い!」と悲鳴を上げたことがあった。
 それは、僕ら夫婦が最初の一戸建て(東京都国立市)からテラスハウス(川崎市麻生区)に引っ越して、しばらくしてからのことだった。引っ越したワケは... とにもかくにも、僕自身の不徳の致すところなのであるが... まあ、それはそれとして、また別の機会にでも...(汗)
 とにかく、そのテラスハウスがある周辺は、平地の多かった国立市の時とは異なって丘陵地だった。したがってジロの散歩コースも、自ずと軽い丘のアップダ ウンの連続となり、なおかつその丘陵地帯の中にある田畑もジロの格好の遊び場となったのである。そんな場所でなくとも、散歩となるとテンションが一気に跳 ね上がり、ただでさえ落ち着きのないジロは、毎回5割増しの落ち着きのなさ... そんなある日の散歩中、畑を仕切る塀に飛び乗って畑の土をさんざんいじって 楽しんだ後、やおら身を翻して塀から飛び降りたことがあった。あまりの突発的なヤツの行動に、リードを持った僕があっけにとられていると、リードがヤツの 尻尾に絡んでしまった。しかしヤツは、そんなこともおかまいなしに、ものすごい勢いで塀から飛び降りたのだ。しかし、次の瞬間... 「キャン!!」という悲 鳴がジロから発せられた。そして、しきりに自分の尻尾を気にしているではないか... 普段、痛みなどには鈍感で無頓着な彼にしては珍しいことだし、いつもは クルリと巻き上がっている尻尾がダラリと垂れ下がっている... さすがにこれはちょっと心配だということで、すぐに近所の動物病院へ連れて行くとレントゲン を撮っての診察となった。
「ジロくん、ですね... え〜っと、尻尾を軽く脱臼してますね。もしかすると、このまま尻尾は垂れ下がったまま、かもしれません」
脱臼〜? 犬が尻尾を脱臼〜? しかも垂れ下がったままになるって... 思わずジロの顔を見たのだが、当の本人は「ねえねえ、この病院も犬とか猫、たくさん居るね♪」という表情。尻尾は垂れ下がったままなのに、平気な顔をしているではないか。
「オマエな、犬が尻尾を脱臼なんて聞いたことないぞ。なんで、そう落ち着きがないんだ」と僕と妻のいつもの小言など、どこ吹く風である。とにかくその日 は、とりあえず痛み止めの薬をもらって帰宅した。「もしかして、このまま尻尾が垂れ下がったままになったら、ちょっと可哀想だな」と心配しつつ...
 そして、その2日後、何事もなかったようにヤツの尻尾は、クルリと上に巻き上がっていたのである...
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Vol.33-2 ジロ・ストーリーPart2<ジロ騒動記1>

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 なんだ、フツーにペットショップで買ってた方が体調管理も行き届いてるし、 お得だったじゃん?...というハプニング?を経て、(2代目)ジロは我が家の一員となった。将来、もしかして大型犬になるんか?という僕と妻の不安をよそ に、まだ生まれたてだったその子犬は体調回復後には早速、いかにも子犬らしいイタズラをやらかし始めた。
 基本的に「犬は外で飼うもの」と決めていた我々は、猫の額ほどの庭に囲いを作り、その中でジロを生活させることにした。とはいえ、まだ子犬であるからに は、本来は母親犬のお腹にもぐりこんでヌクヌクしたいだろうからと、寝る時にはわざわざ湯タンポを用意して玄関の中で寝かしつけたりしていた。昼間、僕な り妻なりが家にいる時は雑巾で足の裏をキレイに拭き取った後、部屋の中に入れて遊んだりもしたのだが... とにかく、彼(ジロ)が起きている間は家の中で走 り回り、落ち着かないこと、この上なし。そのうちに、部屋の中にある様々なモノを自分の遊び道具にし始める... ゴミ箱をわざとひっくり返してサッと逃走...  ティッシュの箱からティッシュを何枚もくわえ出して散らかす... さんざん動き回って空腹になると、こちらの頭にキンキン響くようなカン高い声で鳴きまく り、決めていた食事時間以外の食事を要求...などなど。こちらがその度に叱ると、それすら「自分と遊んでくれている」と勘違いしてテンションがさらにアップ するのである。まあ、いかにも子犬らしい所作であったのだが...
 ある日、僕と妻が共に外出する為、庭の囲いの中にジロを放して出かけたことがあった。その夜、帰宅してみると、何とジロが囲いの外の玄関先で覚えたばかりの"お座り"をして我々を待っていた。
「あれ? オマエ、どうしたん?」と僕。「囲いの外に出ちゃって戻れなくなったの?」と妻。しかし、その直後、我々の視界に入ってきたのは、当時妻が大事 に育てていた、ささやかな家庭菜園が見るも無惨に引き抜かれた光景だった。当のジロは「どう? すごいでしょ?」とシッポを振って我々を見つめている。  ...その瞬間、僕が烈火のごとくジロを叱ったのは言うまでもない。

 たぶんジロには「イタズラをした」という認識はなかったように思う。ただ単に「これ、おもしれ〜♪」という感覚のみがあったのだ。であるから、た とえその瞬間に猛烈に叱られたとしても、なぜ自分がそんな目に遭っているのか、半分も理解していなかったように思う。叱った直後はシュンとなるものの、そ の数分後には、また別の何かをやらかす... ジロの子犬時代は、そんなことの繰り返しだった。

 ジロが我が家に来て半年もすると、早くも彼の体格は思わず「お?」と感じるほどの大きさになりつつあった。しかし彼自身は、そんな自らの体格に対 する自覚などは微塵も無く、子犬だった時と同じように僕や妻にジャレついてくる。...いや...「ジャレつく」というのは、あくまでもジロの感覚であり、こちら にしてみると「中型犬に飛びかかられた」という感覚なのだ。当然、体にもそれなりの衝撃というかダメージを与えられる。
 そんなジロであるから、僕が担当?となった朝晩の散歩は、完全に体力勝負となった。何しろ、元々がソリを引いて走れるシベリアンハスキーの血を持った犬 であるからして、若い時の体力は、こちらからすると"底なし"と思えるほどなのだ。いつしか、ジロと散歩に出て1時間経過などということは、当時の日常と なっていった。
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 ところでジロの性格だが... どこでそうなったのかは不明だが、とにかく無警戒、すべてに安心し切って楽しく毎日を過ごせる犬だった。我々飼い主が出かけ る時に、いわゆる「追い鳴き」をすることもなく、ただ「あ、出かけるんだ」みないな顔をして我々を見送るだけ。その後は、ノンビリ1人で過ごす。宅配とか 郵便の配達員さんなど、日頃は彼の目に触れない人物が家を訪ねて来た際に吠えることもなく、むしろシッポを振って見ているだけ。寝ている時などは、呼び鈴 に気づかないことさえあった。妻は「オマエさ〜、犬としてどうなの? その態度は...」とよくジロに向かって語りかけて(=こぼして)いたものだ。
 そんな犬であるから、動物病院に連れて行こうが、狂犬病の注射会場に連れて行こうが、怖がったり怯えたりすることは一切なかった。これは、飼い主として は非常に助かった一面だと思う。先代のジロもそうだったが、普通、飼い犬というのは自分の主人(飼い主)から離れて病院に預けられるとか、他の犬がキャン キャンと悲鳴にも似た声で怯えまくっている狂犬病の注射会場に行かれることを非常に嫌がるものなのだ。しかしジロの場合、そういう時には「他の犬や猫に会 える〜♪(ルンルン)」なのである。狂犬病の注射会場では、自分が注射されているのにも気づかず、他の犬に(犬なりに)話しかける仕草が何度も見られた。 「よっ! オタク、どこから?」という感じで... そんな時、他の犬の飼い主さんからは「まぁ、おりこうさんなワンちゃんね〜」と言われるのだが、我々飼い 主からすると「いやいや、ただのアホ犬なんです」と苦笑いするしかなかった。我々が旅行などで病院に預けに行った時も、病院が近づくと車の窓から顔を出し て喜ぶだけでなく、到着後は一目散に病院に入りたがる。病院のスタッフよりも先に、自分が預けられる部屋に向かって走り去っていくのだ。当然、飼い主たる 我々を振り返ることなど一切なし、である。
 そういう意味では、僕としては先代に比べて非常に飼いやすい性格の犬になってくれたと言える。もちろん、何がキッカケでそうなったのかは、実は今だによくわからないのだが...

Vol.33-1 ジロ・ストーリーPart1<2代目襲名>

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 2011年4月30日17時、約16年に渡って飼っていた犬のジロが他界した。中型犬と大型犬の中間ほどの大きさだったジロにとって、16才という年齢は人間に換算すると、おおよそ80〜90才。つまりは立派な大往生だったと言える。
 飼い主の僕が言うのも変だが、彼(←ジロはオスだった)は行く先々で誰からも愛され、それどころか、自分のことは誰もが可愛いと思ってくれているハズ で、この世に自分を嫌う、もしくはイジメるような者(←人間に限らず)などは居ないという、妙な信念を持っていた犬だったように思う。まあ、それは傍から 見れば、あまりの無警戒さであり、犬としてどうなのか?という不安すら覚えるものではあったのだが... とにかく、そのトボけた表情と態度は、僕と、当時一 緒に暮らしていた(元)妻を何度となく和ませてくれたものだ。
ジロ星川1.jpg
 そんなジロとの出会いは1997年の2月... 「大変、大変〜!」と買い物に出ていた(元)妻が飛ぶように帰ってきたことに始まる。
「駅前の道ばたでオジさんが犬を売ってたのよ! その中に、すんごく可愛いコが居たの! ちょっと一緒に見にいかない?」
...当時、身分不相応な一戸建てに住んでいた我々は、文字通り猫の額ほどの庭を眺めつつ「犬でも飼ってみたいね〜」などと呑気に語り合っていたのだ。そんな話をしていた時に出会ったのが、ジロである。
 妻に連れられ、駅前に行くと確かに1人のオッサンがネコやら犬を数匹、ゲージに入れて展示(?)していた。周囲は軽い人だかりとなっていて「キャ〜、可愛い〜!」などと歓声をあげていた。
「あのさ! 買わないなら触らないでくれる? 病気とか移っちゃうから! ホラ! そこ! 触るなってば!」
 オッサンは常時"怒りモード"だった... 要するに、変で怪しげなオッサンなのだ。そんな雰囲気の中、「ちょっと見せてもらってもいいですか?」と我々。
「あ? 買う気あるの?」とオッサン。
「そうですね〜、ちょっとそういうふうに考えてて...」と僕。
そこでオッサンが1匹の子犬をゲージから出してくれた。
「ホラ、コイツ。おとなしくて良いコだよ」
横にいた妻がその犬を抱き上げる... もう完全に"買う気"モードである。もちろん、僕も、である。
「いくら、ですか?」と聞くと「2万円にしといてあげるよ」とオッサン。
「しといてあげる」ってことは、安くしてくれたのか? ペットショップだったら10万とかするもんなぁ...などとボンヤリ考えていると、続けてオッサンがこう言ったのだ。
「こういうのってさ、出会いだからさ。きっとコイツはオタクらに飼ってもらいたいんだよ」

 その日、どこでどう2万円などいう金を工面したのかは忘れてしまったが、とにかくその日の夕方には、我が家に1匹の子犬が同居することになった。
「名前、ジロにしようか」と僕。
 ジロという名前は、中学時代に実家の前に犬が捨てられていたのを、当時小学4年生だった弟が拾い、転勤族だった親父の「いずれ引っ越すんだから飼っては ダメだ」という反対を押し切って飼うことになった犬に名付けたものである。案の定、僕が大学1年の夏に親父の転勤が決まり、引き取り手を探したものの、す でに7才になっていた犬を引き取ってくれる家は無く、やむなく保健所に引き渡す羽目になった。すでに東京で1人暮らしをしていた僕に「今日、お父さんがジ ロを保健所に連れていったわよ」とオフクロから電話をもらった夜、何とも言えない悔しさと悲しみに襲われたことを、僕はその後もずっと引きずっていたの だ。
「今度は最後まで面倒見るから、オマエは2代目ジロだ!」と僕は、その子犬を自分の目の前に抱き上げて言い聞かせたのである。
幼少ジロ.JPG
 2代目ジロと命名された犬は、よく見るとシベリアンハスキーと秋田犬が混ざったような雑種だった。子犬なのに、妙に足が太い... もしかしてデカくなる? 大型犬か? ...そんな不安がちょっとだけ頭をよぎった。
 当の本人は、我が家に来た日の夜から食べたものはもどすわ、変な咳は止まらないわ、という騒ぎを起こす。
「もしかして病気持ち? このまま死んじゃう?」と不安になった我ら夫婦は、翌日すぐにジロを近所の動物病院に連れて行った。そして、診断の結果、内臓が 弱っていること、喘息の発作を起こしていることなどを告げられた。3日間、点滴やら食事療法やらを施され、どうにか治ったものの、かかった費用はペット ショップで由緒正しい犬がフツーに買えるほどになっていた。
「いきなり、こんだけ金がかかったんだから、オマエには長生きしてもらうからな!」と勝手な言い草をジロに押し付け、ようやくジロとの生活がスタートしたのである。

Vo.32〜再考・熟考

  • 更新日:

スイッチを入れれば...

すぐにパソコンが起動し、エアコンがついて適温になり、寒い思いも暑い思いもせずに済む...
いつも乗る電車は、たいてい夏はクーラー、冬は暖房が効いているし、急行だ特急だ、長い編成だって、一度にたくさんの人を運べる...
ガソリンスタンドは24時間、セルフでいつでも給油可能、足りないものがあれば夜中であってもコンビニに行けば何とかなる... ホントに便利な世の中。

でも、もしかして俺らは『慣れ』過ぎてなかったか?...と思う。

子供の頃、電車とかバスにクーラーがあるものに乗れるなんて滅多になかった。もちろん、家にはクーラーなんてなく、暑い夜は自分でウチワを扇ぎながら寝た。
コンビニなんてなくて、スーパーはよくて夜7時くらいまで。もちろん、正月3が日は休業。
電話は家の電話しかなくて、それも留守電なんて無し。内緒の電話は、わざわざ外に出て公衆電話まで走ったし...
夜になれば、街は暗くなるのが当然で...

地震があった瞬間、地下鉄の車内に居た。本気で「もうダメだ」と思った... 駅の外に出て、交通網がマヒしているから、麻布から後楽園の先まで歩いた。地下鉄で15分くらいのところを1時間半かかった...
自分の所属するスクールに着いて、帰れない生徒を車に乗せて横浜に向かったものの、到着まで7時間かかった。信じられないくらいの渋滞だった...
今日ガソリンを入れに行ったけど、給油まで1時間並んだ...

でも...

誰も不満そうな顔はしてなかった。むしろ、そういう顔を見ることで自分にとっても何か大きな救いになっているような気がした。

便利なのは有り難い。でも、それに慣れ過ぎてしまってたかも...


...そんなことを本気で考え始めるキッカケになった2011年3月11日だ。

そんな俺らは、これから何ができるのだろう...

Vol.31 ど〜でもいいけどぉ〜...的な年末デス...

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結婚生活は破綻していた...
  いや、そうは認識していなかった...
    でも、両方から金銭的な援助を受けていた...

 ドロドロ不倫、だそうです。...まあ、正直「ど〜〜でもいい」話題ですけどね。芸能人って、いろんなことで話題になるし、それに対するニーズもけっこうあるんだなと思います。
 必死の形相で「それは不倫ではない、ということなんですか?」とか言いながらマイクを人の顔の前に突き出す、レポーターっていう人たち... 「ど〜でもいい」話題をここまで盛り上げるんだから、大したもんです。よくもまぁ、人んちの家庭問題にあれだけ突っ込んでいけるもんだと。
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 なんて言いつつ、自宅の部屋の大掃除をしながらテレビを観てる自分も、どうかと思うんですけどね(^_^;; やっぱり年末ですから。一気にダダァ〜っと掃除しちゃえってことで、腰が痛くなるまで掃除してたんですけど、ついついテレビ観ちゃいました。

 そんな感じで、インタビューだか会見だかわかりませんけど、ボンヤリ観ていたら、あるレポーターが「男女の関係になったのは、いつからですか?」って聞いてました。
...はぁ? そこまで聞く?...
さすがに「そこまで応える義務はないです(怒)」って受け答えしてましたけど、そらそうでしょうよ。だって「アナタがあの人とヤったのは、いつなの?」って聞いてるわけでしょ? すごいです、レポーターっていう人種の倫理観って。
「いや、でも公共性として世間の皆さんには知る権利が...」とか何とか、そのレポーターは食い下がってましたけど、その認識がどうしようもなく下劣。 学生の飲み会の時に「オマエさ、あのコともうヤったの? え? マジ? いいなぁ〜」ってゲラゲラ笑いながら妙なテンションが上がってくのと同じレベル。 飲み会の席ならいいけど、それを素面で、しかも公共の電波に乗るっていう場で口に出せるセンスが、もう...(>_<)

 自分もバツがあある身ですから、家庭内の問題ってのはいざとなるとすごく大変だし、デリケートなこともあると思ってるわけです。なんでそういうことに なったのか、なんでこんなにややこしくなったのか... それは、自分と当事者にしかわからないことだし、その人間たちだけで納得する、もしくは納得せざるを 得ない結論を引き出し、その後の人生を改めて生きて行く決意をするわけなんですけど、それをアカの他人が「で? それで? それで?」って首を突っ込む話 じゃないですってば。

 中国の漁船が日本の領土内で暴挙を働いたり、ロシアの大統領が日本の領土にやって来て「ここはウチのもんだから」とか言ったりして、それに対して ろくな対応ができない日本の政府がいて、その政府に至っては国内の問題すら何1つキチンと解決できない... そんな危機的な状況の中で、「で? ヤったの?  ドロドロの不倫ってやつ?」的な話題で盛り上がる...
 ん〜、なんて平和な国なんだ〜...

 そんな年末ですね(笑
 来年はhenssimo結成10周年! 頑張りますぜ〜!!(^o^//

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About

つのだ☆ひろ氏を師と仰ぐDr.光太郎の連載コラム。
henssimoのドラムである彼が、日々の暮らしの中でふと思った事柄や現代の世相を通して、音楽に生きる人達に送るメッセージ。
・・・って説明すると、Dr.光太郎がたいそう偉い人に思えるのだが、実際読むと「そんなに偉くない」ので安心。

プロフィール

武田 光太郎
職業:阪神タイガース
もといミュージシャン

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